ポイ・カラーン建築群、ブハラ
これはブハラ中心部にある主要な建築群で、「4つのバザール」の交易交差点に位置しています。「ポイ・カラーン」とは「偉大なる者の台座」、すなわち「カラーン・ミナレットの台座」を意味します。この建築群は4つのモニュメントで構成されており、カラーン・モスクとミル・アラブ・マドラサが向かい合い、その間にカラーン・ミナレットがそびえています。ミル・アラブの南には、小さなアミール・アリムハン・マドラサが建っています。
カラーン・ミナレットは、街を見渡す巨大な垂直の塔です。イスラム教が確立されて間もない頃、祈りの時間を知らせるためには、モスクの屋根を高くするだけで十分でした。「ミナレット」という言葉は「灯台」を意味し、古代では火を灯す場所として使われていました。紀元前283年に建設された高さ 143 メートルのファロス灯台のような巨大な多階建ての塔が、その例として挙げられます。
ミナレットは、都市の特異性を際立たせる建築群の中で、特別な役割を果たしました。
12世紀初頭、アルスラーン・ハーンは古いモスクのミナレットの再建を命じましたが、完成後まもなくミナレットが崩壊し、その2/3が損壊しました。その後、アルスラーン・ハーンは再びミナレットの再建を指示し、1127年に完成しました。このことは、カラーン・ミナレットのターコイズ色のマヨリカ装飾の下にある銘文から判明しています。この銘文には、「アルスラーン・ハーンの名」や建設を担当したマスターである「バノ」の名が刻まれています。カラーン・ミナレットは、マヴェラナフル地方特有の円筒形のレンガ造りの塔で、下部の直径は9メートル、上部は6メートル、高さは45.6メートル及びます。塔の内部には螺旋階段があり、16個のアーチ状の窓が設けられた上部は鍾乳石の装飾で美しく仕上げられています。
カラーン・モスクは建築の傑作とされ、ソビエト時代に廃墟から再建された歴史的記念碑です。16世紀初頭には部分的に再建され、その見事なアーチ形状やポータルの装飾は、16~17世紀にブハラで発展した新しい建築スタイルの特徴を示しています。アーチポータルの下にある銘文は再建時に追加されたもので、そこにはコーランの章句(アーヤ)が記され、1514~1515年の日付が確認されています。また、1541年にはアブドゥルアズィーズ1世の命令により、メインポータルの入り口に大理石の銘板が取り付けられました。この命令には、ブハラの住民が一部の税から免除されることが記されています。