シャヒマルダン、フェルガナ盆地旅行
シャヒマルダンのツアー、観光スポットおよびアクティビティ
シャヒマルダンは、フェルガナから55キロメートル離れた、絵画のように美しい山岳地帯(標高1,500メートル)に位置するシティリゾートです。ここはアライ山脈に囲まれ、オークスー川とコックスー川が両側を流れる自然豊かな場所です。シャヒマルダンの南東7キロメートルには、1766年の大地震の後に形成されたクリクボン湖(青い湖)があります。湖は標高1,724メートルにあり、長さ170メートル、幅60メートル、深さは5~10メートルに達します。湖までは、2キロメートルのケーブルウェイが整備されています。
この地域は、涼しい空気や急流、山間に広がる湖といった豊かな自然が広がっており、レクリエーションや観光に最適な場所です。また、シャヒマルダンは宗教的巡礼地としても知られています。
イスラム教の伝承によれば、預言者ムハンマドの義理の息子で、第4代カリフであるハズラト・アリがシャヒマルダンを訪れたとされ、彼のお墓の一つがここにあると信じられています。「シャヒマルダン」はペルシア語で「人々の主」を意味し、ハズラト・アリの名前と関連しています。1920年代には、シャヒマルダンの中心部にモスクとハズラト・アリ霊廟があり、信者たちが祈りを捧げていました。しかし、ソビエト政権下の宗教弾圧により、アリの霊廟は破壊されました。その後、ウズベキスタンが1993年に独立を果たした際、ハズラト・アリの霊廟は元の場所に再建され、かつての姿が保存されました。
1930年代、ウズベキスタンとキルギスタンの領土交換によって、シャヒマルダンはウズベキスタンの一部となりました。一時期、シャヒマルダンはウズベキスタンの詩人で劇作家でもあるハムザ・ハキムザダ・ニヤズィーに敬意を表して「ハムザアバード」と呼ばれていました。1929年3月、シャヒマルダン村でハムザは殺害されましたが、1960年代には彼を称えてハムザ博物館と霊廟が建設されました。さらに、1989年にはハムザの生誕100周年を記念して、シャヒマルダンに新しい博物館と記念碑が建設され、この偉大な人物を讃える場となっています。