ドルト・ティロヴァト複合施設、シャフリサブス
ドルト・ティロヴァト複合施設は、スーフィズムの偉大な指導者であり、エミール・タラガイおよびティムールの精神的導師であり、バハウッディン・ナクシュバンディーの師でもあったシャムシッディン・クラルが、1370年から1371年にかけて亡くなった後に形成されました。彼の墓は、すぐに多くの弟子たちによる崇拝の場となりました。
シャムシッディン・クラルの墓の隣にはドルト・ティロヴァト・マドラサの建物がありました。エミール・タラガイの遺骸は、そのマドラサの一室に移されました。ティムールの治世中、クラルの墓はオニキス大理石の板で覆われました。その後、ウルグベクの統治下で、クラルの埋葬地およびそれ以前の質素な建物の跡地にドーム型の霊廟が建設されました。コク・グムバズ(青いドーム)モスクは、1435年に霊廟の向かい側、同じ軸線上に建てられました。その入り口に刻まれた銘文には、「このモスクはウルグベクによって、父シャフルフの名のもとに建てられた」と記されています。このモスクは、シャフリサブスの金曜モスクとしても知られています。
モスクの建設から2年後の1437年から1438年にかけて、ウルグベクの命により、シャムシッディン・クラル廟の南壁の横に、ティムール朝の子孫や一族の墓(マクバラット)が建てられました。近隣の墓地から移された大理石の墓石の中には、15世紀から17世紀のものが含まれており、そのいくつかにはテルメズ・サイイド家の名が刻まれています。これにより、この霊廟はグンバジ・サイイドン(サイイド達のドーム)とも呼ばれるようになりました。
こうして、ドルト・ティロヴァト・マドラサの中庭を囲むように、14世紀から15世紀にかけて、シャムシッディン・クラル廟、エミール・タラガイのグルハナ(墓廟)を備えたマドラサ、ウルグベクのモスクおよびマクバラット(埋葬室)などの建造物が統一的に配置されました。シャフリサブスの2つの有名な記念建造物群、ドルス・サオダットとドルト・ティロヴァトの間には、地元の貴族や聖職者が埋葬された歴史ある墓地が広がっていました。