ダルヴァザ・ガスクレーター へのグループツアー (ヒヴァから)

デヒスタン、トルクメニスタン

デヒスタン、トルクメニスタン

バルカン州の完全に平坦で水のない粘土質の平原にそびえ立つのは、かつて「ミスリアンの谷」として知られた場所に残る、神秘的で謎に満ちた古代都市デヒスタンの遺跡です。この都市は、ホラズムとペルシアのヒュルカニアを結ぶキャラバンルート上に位置し、中世には繁栄を極めた最も遠隔で孤立した都市でした。デヒスタンはミスリアンのオアシスの中心にあり、「ミスリアン(メッソリアン)」とも呼ばれていました。この名称は、かつてこの地に住んでいた「ダク族」に由来します。

デヒスタンは8世紀末から9世紀初頭にかけて形成され、その最盛期はホラズム・シャー朝の支配時代に訪れました。都市全体の面積は約200ヘクタールに及び、二重の城壁によって守られていました。当時の歴史家は次のように記しています。 「…デヒスタンは大きなモスクを有する都市であり、トルク・オグズ族の侵攻に対する国境の要塞であった…」

しかし、デヒスタンの繁栄は長くは続きませんでした。チンギス・ハンの軍隊が到達したときには、すでに衰退しつつある都市でした。モンゴル軍の侵略後も、都市の生活は13世紀から14世紀にかけて続きましたが、15世紀には完全に放棄されました。現在も数多くの建物の遺跡が、そのかつての栄華を物語っています。

デヒスタンには、現在もいくつかの歴史的建造物が残っています。最も有名なのはシル・カビール廟で、美しい装飾が施された霊廟です。また、高さ25メートルの2基のミナレットは、当時の建築技術を物語る印象的な塔です。さらに、大モスクの入口アーチは壮麗なポータルとして今もその姿をとどめています。都市を囲んでいた日干しレンガ造りの城壁の跡や、キャラバンサライの遺跡も見どころです。これらは、かつて交易と文化の中心地であったデヒスタンの栄華を今に伝えています。

デヒスタンの周囲には、複数のキャラバンサライが点在しており、これらは都市の門やキャラバンルートの方向を示しています。南門はペルシアとトルコへ通じ、東門はブハラ、サマルカンド、メルブへと続いていました。一方、北門はロシアやヨーロッパへの道を開いていました。これらの門とルートは、デヒスタンがシルクロードにおける重要な交易拠点であったことを物語っています。