キジル・カラ、カラカルパクスタン
キジル・カラ要塞は、古代ホラズム(現在のカラカルパクスタン)の領域に位置し、古代都市トプラク・カラの近郊にあります。いくつかの史料によると、キジルカラはトプラク・カラの防衛要塞群の一部として機能し、追加の防御施設として重要な役割を果たしていました。
キジルカラは、古代ホラズム建築史における最終段階の遺跡の一つであり、巨大な柱を持つアフリギッド時代の城の原型と考えられています。
この建築遺跡は、1938年、トルストフ率いるホラズム探検隊によって発見されました。要塞の基礎調査は探検隊のスタッフによって実施され、詳細な研究が進められました。キジル・カラ要塞は比較的小規模で、ほぼ正方形の形状をしています。発掘調査によって、要塞は二重の城壁に囲まれ、四隅には監視塔が配置されていたことが明らかになりました。また、要塞の中心にはメインストリートがあり、それはゾロアスター教の司祭が聖儀を行った拝火神殿へと通じていました。街の住宅区域は通りによっていくつかのセクションに分けられ、各セクションには複数の部屋があり、住民は家族単位で暮らしていたと考えられています。
キジル・カラは、クシャーナ・アフリグ朝時代の古代ホラズムにおける独特な建築遺跡です。平原の中央にそびえるキジル・カラは、古代ホラズムの象徴ともいえるトプラクカラ要塞を守る防衛拠点として機能していました。また、トプラク・カラとキジル・カラが地下道でつながっていたという伝説が残されています。キジルカラはホラズム・シャフ国の防衛施設システムの一部であり、チンギス・ハンの侵攻まで存続していたため、この伝説には一定の根拠がある可能性があります。