グーリ・アミール廟、サマルカンド
グーリ・アミール廟は、中世東洋の最も重要な建築群の一つで、15世紀初頭にサマルカンドの南西部に建てられました。この壮麗な複合施設は、カナカ、アミール・ティムールの孫ムハンマド・スルタンのマドラサ、そして後にアミール・ティムールとその子孫たちの霊廟から成り立っています。
マドラサは、サマルカンドの貴族の子弟に教育を施すために建てられた中庭を持つ小規模な建物です。その向かいには、中央ホールとフジュラ(小部屋)を備えたカナカがありました。これらの建物は、ムハンマド・スルタンの命により、イスラム教育の拠点となるよう計画されましたが、1403年にムハンマド・スルタンが急逝したため、その用途が変更されました。
ムハンマド・スルタンの死後、悲しみに暮れたアミール・ティムールは、孫の遺体を一時的にマドラサの一角にあるダルスホナに安置し、すぐに霊廟を建設するよう命じました。
複合施設の中庭は、四隅に4つのミナレットを持つ単一の装飾壁で囲まれており、北側には「ムハンマド・イブン・マフムード・イスファハニ」という建築家の名が刻まれた壮麗な入口ポータルが設けられています。
しかし、ティムールは霊廟の完成を見ることなく、1405年の冬に亡くなりました。建設はティムールの孫ウルグベクによって完了しました。アミール・ティムールは故郷シャフリサブスに自身の霊廟を建設していましたが、最終的に彼とその子孫の墓所はグーリ・アミール廟となりました。そこには、ティムールの息子シャフルフとミランシャフ、孫ムハンマド・スルタンとウルグベク、そしてティムールの精神的指導者ミール・サイード・バラカが眠っています。
現在、グーリ・アミール廟の埋葬地には墓石が建てられています。ティムールの墓石は翡翠で作られており、墓地の中央に位置しています。実際のお墓は霊廟の地下にあり、上部ホールにある墓石の真下に位置しています。この墓地は1941年に一度開かれ、その出来事が有名な伝説を生みました。
この霊廟は、中世建築の素晴らしい技術を示す例であり、その調和の取れたデザインは今もなお称賛されています。リブ付きドームと丸天井の壁面は、鮮やかな青と深い青の施釉レンガ、金箔、モザイクで美しく飾られており、ドームには星空を模した浮き彫りのロゼットが施されています。内部には、格子窓、大理石やオニキスのパネルに描かれた絵画や彫刻、半貴石の象嵌が施され、豪華な装飾が施されています。
グーリ・アミール廟は、後にムガル帝国の建築にも影響を与え、インドのデリーにあるフマーユーン廟やアグラのタージ・マハルといった有名な建築物の原型となりました。
現在、グーリ・アミール廟とその入口は修復されていますが、カナカとマドラサは残念ながら廃墟のままです。