プルジェヴァリスキー記念博物館、カラコル
ニコライ・ミハイロヴィチ・プルジェヴァリスキー(プルジェワルスキー)は、中央アジアと東アジアを代表する地理学者の一人です。彼は地図作成や記録において非常に多くの業績を残し、モンゴル、トルキスタン、中国、チベットの動植物、山脈、人々について研究し、詳細な報告を行いました。1888年にカラコルで亡くなった後、この町は一時的に彼の名前に改名され、その後、彼の生涯を記念して博物館が設立されました。
プルジェヴァリスキーは中央アジアを4度にわたって探検し、数千種に及ぶ植物や動物のサンプルを収集し、広大な地域をカバーする詳細な地図を作成しました。彼の地図は、山脈の始まりと終わり、その地域に生息する動植物の種類を正確に把握するうえで重要な役割を果たしました。プルジェヴァリスキーは、マルコ・ポーロ以来、初めてチベット高原の青海湖を訪れたヨーロッパ人でしたが、最終目的地であるラサには到達できませんでした。プルジェワルスキーガゼルやプルジェワルスキー馬は彼の名にちなんで名付けられており、植物や爬虫類のいくつかの種も彼の名を冠しています。
1888年、プルジェヴァリスキーは第5回遠征を目前に控えた際、チュ川でチフスに感染し、カラコル近郊で亡くなりました。彼の遺体はイシク・クル湖の岸辺に埋葬されています。皇帝は彼の功績を称え、町の名前をカラコルからプルジェヴァリスキーに改名しましたが、1991年に独立後、再びカラコルに改名されました。
プルジェヴァリスキー記念博物館は1957年に開館し、ソビエト地理学会の文書や展示品を収蔵しています。現在では、プルジェヴァリスキーの生涯に関する文書、写真、私物が展示されています。博物館の近くには、彼のお墓と生涯を記念する記念碑があります。ただし、展示品の説明がロシア語のみであるため、訪問者によっては内容を理解するのが難しい場合があります。