ダルヴァザ・ガスクレーター へのグループツアー (ヒヴァから)

トプラク・カラ古代集落、カラカルパクスタン

トプラク・カラ古代集落は、紀元後1世紀から6世紀にかけて栄えたホラズム文化を代表する重要な遺跡です。特に、紀元後3世紀にはホラズムの首都がここにありました。この遺跡は1938年、トルストフ率いるホラズム探検隊によって発見されました。都市の配置は計画的に整備されており、正確な長方形の形をしていました。都市の北西部には、3つの塔を備えた巨大な城(知事の宮殿)が築かれ、南東部には火の神殿が設けられていました。火の神殿から南へ伸びる大通りが都市を二分し、その両側に小道が広がり、広大な住宅地が形成されていました。この都市は、ホラズムの首都として機能していましたが、その社会には依然として奴隷制度が存在していたと考えられています。

トプラク・カラ古代集落、カラカルパクスタン
トプラク・カラ古代集落、カラカルパクスタン
トプラク・カラ古代集落、カラカルパクスタン

この要塞は3世紀に建設され、紀元後305年までホラズム・シャフ(ホラズムの統治者)の宮殿として使用されていました。しかし、相次ぐ外敵の侵攻により、支配者たちはこの地を放棄せざるを得なくなり、都市は次第に衰退していきました。

考古学的な発掘調査によって、コイン、骨壺(ゾロアスター教に関連するカノプス壺)、芸術品、工芸品など、貴重な遺物が多数発見されました。出土品には、薄手の陶器、羊毛や絹織物、金製の装飾品、ガラスビーズ(約300個)、琥珀や珊瑚を用いた装飾品、ペースト装飾品(人工宝石)、ボウル状のネックレスのようなものが含まれています。

考古学者たちは、ホラズムの名を広めた弓の製造工房もこの遺跡で発見しました。この遺跡の建築は、古代ホラズムの都市計画と要塞化技術の優れた見本となっています。特に、3つの塔を備えた総督宮殿は非常に興味深いものです。この宮殿には内部に部屋を持つ3つの壮大な塔があり、当初の高さは約30メートルに達していました。現在は浸食などにより25メートルまで低くなっていますが、それでもホラズム建築技術の高度な発展を示す証拠となっています。

トプラク・カラ古代集落、カラカルパクスタン
トプラク・カラ古代集落、カラカルパクスタン
トプラク・カラ古代集落、カラカルパクスタン

しかし、トプラク・カラが注目されるのは、その珍しい建築だけではありません。宮殿の南東部にある4つの建物で発見された古代ホラズム語の貴重な遺物も、この遺跡を特別なものとしています。考古学者たちは、木製の板と革の巻物に黒インクで記された116点の文書を発見しました。そのうち18点の木製文書は非常に良好な状態で保存されていました。これらの文書はまだ完全には解読されていませんが、すでにその性質は特定されています。それらは宮殿のアーカイブから出土した経済文書であり、当時の行政や取引の記録を伝える貴重な史料です。発見された文書のうち、3点には紀元後207年、231年、232年という正確な日付が記されており、古代ホラズムにおける文書管理の高度な発達を示唆しています。

この貴重なアーカイブ資料に加え、彫刻や壁画もまた考古学者たちの注目を集めています。そのため、トプラク・カラは「古代ホラズムの美術博物館」とも称されています。トプラク・カラは、ホラズム建築の完全に発掘された遺跡として類を見ない存在です。その壮大な規模と卓越した建築デザインにより、ホラズムで最も重要かつ独特な遺跡の一つとなっています。