アフラシアブの古代集落、サマルカンド
サマルカンドの北側入り口に位置する高台には、紀元前7世紀から2世紀にかけて栄えた古代集落、アフラシアブがあります。驚くべきことに、この地には現在、都市の痕跡はほとんど残されておらず、地元の人々は、伝説上のトゥラン王が建設したとされる巨大な都市の話を信じ、この場所をアフラシアブの都市と呼んでいます。実際には、ここはモンゴル時代以前のサマルカンドの一部であり、紀元前6世紀から1220年にモンゴル軍に破壊されるまで、長い間、都市生活が営まれていました。
多くの侵略に苦しんだサマルカンドも、チンギス・ハーンの軍勢による攻撃には耐えられませんでした。彼は都市を徹底的に破壊するよう命じ、人々はその激しい破壊に深く打ちのめされ、再びその地に定住しようとはしませんでした。生き残った人々は、サマルカンドの遺跡のふもとに新たな住居を構えました。現在、サマルカンドの街は、広大な荒れ地である古代都市アフラシアブの周囲に広がっています。
発掘調査の結果、アフラシアブは要塞、市街地、郊外から構成されていたことが明らかになりました。考古学者たちは、住宅地、手工芸地区、モスク、さらには7~8世紀のサマルカンドの統治者の宮殿の遺構を発見し、その中で都市の生活を描いた見事な壁画を発見しました。
アフラシアブ博物館は、この古代都市の跡地にあり、そこで発掘された貴重な考古学的遺物が展示されています。