ジョージアのマリアモバ
8月28日
毎年8月28日、ジョージア正教会の信徒は、世界中の東方正教会の信者とともに「生神女就寝祭」を祝います。この祭は、聖母マリアの「就寝(眠り)」、すなわち死と天への昇天―を記念する、重要な宗教行事の一つです。
生神女就寝祭
この祭がいつ教会の伝統として確立されたかは正確には分かっていませんが、キリスト教初期の数世紀にはすでに定着していたと考えられています。4世紀末までに書かれた聖父たちの著作にも言及が見られます。ビザンチン時代の歴史家ニケフォロス・カリストゥス(1256年頃–1335年頃)によれば、生神女就寝祭は、582年から602年にかけて在位したビザンチン皇帝マウリキウスの治世中、582年に始まったとされています。ただし、実際にはこの儀式はすでにそれ以前から存在していたと考えられ、マウリキウス帝はそれを公式の祝祭日として宣言したに過ぎない、という見方が有力です。
マリアの願い
キリストの復活後、聖母マリアは、できるだけ早く自らの魂を天に召していただきたいと、神に繰り返し祈り願っていました。ある日、祈りを捧げていたマリアの前に天が開き、大天使ガブリエルが現れて、三日後に天に召されることを告げました。
この知らせを受けたマリアは、深い喜びに包まれましたが、天に昇る前にもう一度イエスの弟子たちと再会したいという願いを強く抱きました。当時、弟子たちはそれぞれ異国で宣教活動を行っていましたが、神の奇跡によって、使徒パウロをはじめすべての弟子たちがエルサレムに集められました。ただ一人、インドで布教していた使徒トマスのみがその場には間に合いませんでした。
弟子たちが集まったとき、マリアは一人ひとりの名を呼び、その信仰を讃えて祝福を与えました。その後、聖体拝領を受け、キリストの体と血の神秘にあずかりました。夜の9時ごろ、マリアの魂が地上を離れると、その部屋は神秘的な光に包まれたと伝えられています。主イエスは母マリアの魂を抱き取り、天使たちの賛美の歌とともに、彼女を天の国へと導いたとされています。
さらなる奇跡
聖母マリアの魂が天に召された後、彼女が息を引き取った家は、芳しい香りに包まれたと伝えられています。この香りは神聖なものとされ、多くの病人が癒しを求めてその場所を訪れました。聖母の遺体に触れたり近づいたりすることで、奇跡的に病が癒されたとも言われています。弟子たちは、マリアの地上での願いに従い、祈りと共に夜を明かしました。そして、金曜日の朝、彼女はゲッセマネの地に丁重に埋葬されました。
唯一、この出来事に立ち会うことができなかったのは、インドで宣教活動をしていた使徒トマスでした。彼は埋葬後にエルサレムに到着し、マリアの墓を訪れて哀悼の意を表そうとしました。しかし、墓を開けたところ、マリアの遺体はすでに消えており、墓の中には芳香がただよっていたと伝えられています。
その後3日目に、主イエスはマリアの遺体を天へと引き上げ、すでに天にある彼女の魂と再び結び合わせたとされています。正教会の教えによれば、この聖母マリアの被昇天に示されたように、魂と身体が再び結ばれることは、終末における「最後の審判」の後に、すべての信仰者が経験する出来事であると信じられています。
ジョージアのマリアモバ
ジョージアでは、聖母マリアは親しみを込めて「マリアミ」と呼ばれており、そのため、聖母の就寝(昇天)を記念する祝祭は「マリアモバ」と呼ばれています。この日は、マリアがジョージア正教会の信徒にとって極めて重要な存在であることから、宗教的にも深い意味を持つ祝日とされています。ジョージアでは、聖母マリアが国全体の守護者であり仲介者であると古くから信じられており、また、同国がキリスト教の広がりにおいて聖母に託された地であると信仰されています。そのため、マリアモバは国民にとって特別な意義を持つ日です。
8月28日はジョージアにおける国民の祝日であり、同時に、生神女就寝祭のために設けられた14日間の断食(生神女断食)が終わる日でもあります。国内ほぼすべての教会で、司祭による荘厳で喜ばしい礼拝が執り行われ、多くの信徒が祈りを捧げます。礼拝の後には、家族や友人と集まり、食事を囲んでマリアモバを祝い合うのが一般的です。